BsBsこうしょう

これは考えたことではなく思ったことです。

新入生に送る――絶対にソロプレイはするな

無事大学高校中学に合格したみなさん、あるいは惜しくも望みの学校に進学できなかったものの進学はできたみなさん、まずは受験勉強お疲れ様でした。そしてご進学おめでとうございます。

「大学には色んな人がいるよ」とは含みを持って言われる言葉だと思うのですが、いつの間にかその色んな人になってしまったBsBsです。本稿ではみなさんが新しい学校生活に失敗して色んな人にならないようにするための絶対条件のひとつ、ソロプレイをするなについてご紹介します。

ソロプレイについて

みなさんソロプレイと聞いて何を思い浮かべるでしょうか? 孤高、一匹狼、独立心、はたまたぼっちや便所飯。いいものも悪いものも多くあると思います。実のところひとりでいるというのは、ひとりでいることに耐えられるのであればそう悪いものではありません。しかしながらソロで快適に過ごすにはすごく厳しい条件があり、特に大学生活において一般におすすめできるものではありません。

先に(条件をクリアしているという前提での)ソロプレイのメリットについて紹介します。

  1. いわゆる交際費がかからないのでお金の消費を最小限に抑えられる
  2. 人付き合いで余計な時間を取られることなく自分のやりたいことに集中できる
  3. 大局的に見れば学んだことに対する定着度が高まる

はっきり言っていいことずくめです。ぼっちによる孤立感や疎外感に耐えられる人ならぼっちは有力な選択肢に入るといって差し支えないでしょう。

ただし何度も言うように非常に厳しい条件があります。それはひとりでも十分に優秀であるということです。

ソロプレイの条件とデメリット

十分に優秀であるとはどういう状態でしょうか。それは簡単で、何かをするとき自分が属する大集団の中で平均的な数人が集まってやるよりもひとりでやってしまったほうがはるかに効率よく進められるという人間のことを指します。大学になると学ぶことの専門性と範囲がそれまでとは大きく変わり難しく、広範囲に及ぶようになるのでこの優位を維持することが難しくなります。大学では特におすすめしないのはこのためです。

以下大学に限って説明します。

なぜ十分に優秀でなくちゃいけないか。この答えの半分は大学自身のゆがみきった評価機構にあります。大学(の講師陣)は一般にある課題に対してそれをひとりで一生懸命参考文献等を当たりながらやりぬいたか、みんなで協力してやったか、他の優秀な人にまるまる教えてもらったままやったか、前年分の同じ課題を参照してやったかを区別しません。コピペ防止機能は働いているらしいですが、それが機能しないような文章を書くのはとても簡単です。そしてソロプレイにおいては先に挙げた課題のアプローチとしてひとりでやりぬくことしか選択できません。これは通常大変な労力と時間を注ぎ込まなければできないものです。

そしてここが最大の問題点なのですが、あなたがひとりでそうやって頑張って考えている間の時間で、他の人達はさっさと課題を終わらせて別のことをやっています。あなたがひとつの課題に消耗しきっている間の時間で、他の人達は次の課題に向けて休養することができます。このビハインドをあなた自身の能力で補えなければ、あなたは何も出来ずジリ貧かつ心身ともにギリギリの状態で始終生活することを強いられるようになります。

ノートを写せる相手もその日出た課題を教えてくれる親切な人もいないので、一度休むと最悪単位が落ちます。当然体調崩したら終わりです。また試験は大概過去問がないと歯が立たないことが多いので(そもそもそういう構造の試験を作る教官が100%悪いのですが)過去問が手に入りにくいソロプレイでは必然的に点数が低く出ます

つまるところ遊びながらテキトーに課題をやってどこからか持ってきた過去問でその場しのぎをした学生の方が、ひとりで余暇をすべて費やしてでもその授業に真面目に取り組んだ学生より成績評価は高く出るのです。これをゆがんでいると言わずして何と言うか。

もちろん課題をやったという事実は全員の間で共有されるので、もし他のみんなが生産性も成長もない遊びに興じていたなら進路にまで影響が出ることは避けられます。実際そういう人は9割を上回るくらいじゃないかと想像します。

先の質問、「なぜ十分に優秀でなくちゃいけないか」の答えのもう半分はとても優秀でなければ少なくなった余暇をリカバリーできないからです。先も言ったように、綱渡りのような体調管理をこなしつつ阿修羅のごとく勉強すれば効率は悪いもののチームプレイと同等のパフォーマンスは出せます。でもそれは課題だけに限った話です

9割はそれだけで終わるでしょう。問題は残りの1割です。残りの1割は課題を割り切って効率よくこなしつつ自己研鑽を惜しまない層です。企業が求めるのはこういう層であり、企業側の認識としては「教えられたことを勉強するのは当然で、それ以外に何をしたか」を重視します。当然ですが、企業にも同じ成績表を見たときにこれを真面目にやった結果なのかを見抜くことはできません。この点については企業や大学が無能なだけではなく評価システムに欠陥があると私は考えています。(最近は潮流も変わってきてただ漫然とサークル活動してればよいというものでもなくなってきているように感じますが……)

では大学の勉強に追われたあなたはどう答えますか? 大学は勉強するために入るものというのはまったくもって正論ですが、企業の人事は「大学で教えられたことを勉強していました」という旨の発言を聞くと、「コイツは特に何もしていないズボラな奴で、在学期間中何もできなかったからとりあえず勉強と答えているな」と判断します。おあつらえ向きなことに、あなたの成績はその妄想を補強するのに充分です。なぜ彼らがそう考えるかというと、彼らがそうだったからです。彼らには想像力がありません。というより、人間一般には想像力がありません。正確には普通の人間はあなたひとりに対してわざわざ思索を巡らせるほどの余裕がありません。ゆえに、彼らの質問への答えは具体的であることが常に求められます。学部生や高校生レベルでは具体的に自分が取り組んだことを述べられるだけの研究はできないのであなたはこの時点で敗北します。

まあ敗北したといっても条件を選ばなければ就職できるわけですが、上位勢が狙うような東証一部上場企業などは大半諦めることになります。あなたがソロプレイを選んだ、その一点のせいで。

まとめ

ここまで読んでくださった方々なら、いかにひとりでいるという選択肢がリスクの高いものかがご理解いただけたと思います。ですからあなたがもし新しい環境に入った際には、まずはコミュニティにきちんと属することから始めてください。誰でもいいです、友達を作りましょう。敵を作らないことが人付き合いで大事と偉い人が説いていた気がしますが、敵を作らないことよりも味方を作ることのほうがはるかに重要だと思います。大人になったならマイナスよりもゼロが怖いことを意識してください。(子どもはマイナスにならないようにするほうが大事なので)

ここまで読んでも「俺はひとりでできるんだ!!」と思ったあなた。断言しますがうまくいきません。仮に今その方法でうまくいっていたとしてもいずれうまくいかなくなる日が来ます。そして時がきたとき、それが後のほうが軌道修正は困難になります。

ひとりでうまくいっている過去の人は、まずみんなでやってひとりのほうがうまくいくほど自分が優秀であることに気づいた人か、用意周到にひとりになっても大丈夫なように準備していた人のどちらかです。共通することとして、ひとりでうまくできる人は、みんなでやってもうまくできます。早くあなたの驕り高ぶった姿勢が何事もなく矯正されますことを祈念しています。